結論:「押し付けられ憲法恥辱記憶日」と呼ぶべきである。
子々孫々に至るまで、こう言い続けることで、初めて
1:GHQすなわち米国により「押し付けられた」ものであることを
明確にできる。
2:そんなものを60年以上も「記念」させられ、祝わされて
いることは、「恥辱」以外の何物でもないことを認識できる
「押し付けられたとしたって、内容がよければいいじゃないか!」という、クルクルパー(にさせられた)人々は、どうせ、
憲法前文と、9条くらいまでしか読んでいないだろうから、
ぜひ、最後の方の憲法99条(憲法尊重擁護義務)と憲法98条(最高法規)を読むことをお奨めする。そこには、公務員だけが擁護義務を負うと明記してあり、最高法規は憲法ではなく、外国との条約であることが、堂々と記載されている。憲法前文の内容は、単なるロマンチック(=アホの)なレトリックであることに、大人であれば、気づかねばならない。気づけない人は、クルクルパーになっているということなのだ!