21世紀経済懇話会 平成19年9月26日(水)サイプレスガーデンホテル
 
 大磯正美静岡県立大学国際関係学部教授を講師として勉強会が行われた後、塚本三郎元衆議院議員との対論という懇話会に出席した内容。
これは、塚本先生からの案内により出席させていただいたもので、主催者側ではないのですが、良いお話ですので紹介させていただきます。

 講演は、冒頭「考古学は、発掘されるものから事実を見出すことが重要、解釈はその後、 それぞれが行えばよい。今日は、
考古学のように 解釈なしで事実を淡々と話させていただきます」と始まるりテーマとして三つをあげた。
 その一つめは、「日本と中国」この二つの国が冷戦後、どのような政策をとってきたか。日本は、バブル崩壊後負けっぱな
しが続いている。 その点について 冷戦は、第二次大戦の頃にすでに存在していたが日本はそのことまで気が回らなかった。
戦後、冷戦が表面化し、当事者同 士での戦闘はないものの代理による「熱戦」は繰り広げられた。結果、ソ連が消失したが、
同じ共産国である中国は残った。しかし、天安門事件が起こり共産主義の限界を感じた中国は共産主義を超えるイデオロギー
として「中華思想」を持ち出し「中華民族の復興」を叫んだ。ありもしない民族を提唱し、世界中の華僑の共感を得ることに
成功し、中国は変質を遂げた。 1992年2月の人民大会で領海と接続水域を制定し、尖閣諸島、南・西沙諸島を中国固有の領土
として明記したが、日本はそんなことは知らず その年12月に天皇皇后両陛下が訪中された。宮沢内閣の初仕事であったが、
天皇陛下が中国を訪れるのは歴史上初めてのことだが、中国からみれば、領土を制定した後の天皇訪中は、日本はこれを「認
めた」と解釈する。93年にはこうの談話、94年には村山談話と続き、95年には「化学兵器禁止条約」を批推し、日本の遺棄を
国際的に認めさせた。事実は、日本は武装解除し『旧日本軍兵器引継書』を以って中国に引き渡したので、その時点から、管
理は中国となるが、これにより日本が捨てたことになった。98年江沢民は「日本には永久に歴史問題で責め続けよ」と指示し
「日中関係は、中米・中ロより低い」と発言。その年の訪日では宮中での晩餐会に正装のお願いに対し人民服で出席。陛下の
お言葉を無視する行動もあった。これは「日本は格下である」という思想に基づくもの。そして2000年、日本で二千円札が登
場。沖縄の「朱礼門」が描かれているが、その上に「守禮之邦」という言葉が書かれている。これは、中国に対して礼を守る
属国としておもねる、という意味。かつて琉球は中国と特別な関係にあり、中国が明の時代、琉球王が変わるとその即位を認
知する「冊封の儀式」が行われた。この時、明の「冊封使」と呼ばれる使者を迎える琉球政府は、礼を重んじる「守禮之邦」
という四字を門に掲げた。この意味が分かっている人が、このお札の作成に関ったと思われるが、これにより、中国からみた
ら、日本は属国となったことになる。2001年に小泉内閣が誕生。久しぶりに、中国に逆らう首相が登場し、中国は歴史問題で
叩き続けた。そして安部内閣。自ら訪中・訪韓し「守 禮之邦」を復活させる。中国にとって、向こうからやって来る相手は、
格下としての思想である。そして、日本へはナンバー3の首相がやってきて国会演説を行った。「冊封使」は出てこない。中
国は、今度の福田内閣に訪中の要請をしているようだが、ここで素直に要請に従うことは、属国であることを認めることにな
る。福田総理は、まず、アメリカに行くべきである。この「中華民族」という概念は、海外にいる華僑を含め13億とも言われ
る人間が、ありもしなかった「中華民族」という概念により中華思想に染まり、隣の朝鮮・韓国までもが小中華思想で日本を
見下している。

二つ目、日本は何故15年間も沈んだままなのか。
 日本が米国に次いで「第2位の経済大国」という認識が間違いであった。それは日本には「ミリタリー」という概念がなく、
したがって軍事技術が育たないところにある。第二次大戦後、アメリカの方針もあり「平和心理教」ともいえる思想に染まっ
た。 実は、再軍備するチャンスもあったが、「安保条約」という選択をした。その結果、軍事技術、ミリタリーが育つ土壌
を失った。アメリカでは、学校から生活の場までどこにもミ リタリーはある。防衛は国家の根幹であるからだ。どの国でも
「ミリタリー」は需要なことだから、人材も予算もそこに集中する。アメリ カは、冷戦時代、その基礎技術を囲い込み外に
出すようなことはなかった。日本は高度成 長期の間、民間で力をつけ、ハイテクで世界をリードしているかのように見えた
が、冷戦の終焉によりアメリカは、基礎技術を民生へ転用した。ソニーのCCDなどが、分かりやすい、あたかもソニー独自の
技術と当時は思っていたが、基礎技術の民間転用で、間単に追いつかれた。つまり、 日本は、見かけは経済大国になってい
たが、実は二軍と戦い、勝ったと錯覚していたことになる。日本は自動車は一流だが、何故、航空機産業がないのか?それは
ミリタリーの分野であるからだ。有名なボーイング747旅客機があるが、実は ミリタリーでの失敗作である。当時、輸送機で
ロッキードとの競争で負けたので窓をつけ民間機にしたら馬鹿売れした。アメリカでは軍の技術を民間に提供し、競争させる
仕組みがある。日本はそれがないので、民間で一から開発しなければならず、その費用からどうしても価格が高くなり、売れ
ない。国産機のYS11は、優秀であったが、コスト的に成功しなかった。

 対論では、塚本氏が、海上自衛隊による、 インド洋での給油活動に言及。シーレーン
防 衛のこともあり現実は、支援活動継続の必要 性はあるものの、最近、米国は北朝鮮
に対し 「テロ国家指定」解除の機運がある。日本の 立場は、拉致問題を解決することな
く解除を しようものなら、民主党の主張とは別の意味 でインド洋からの撤退を言うべきで
あり、上 手な駆け引きが出来ていないことを指摘。  安部前総理も外務省の言いなりに
なってし まったこと、福田総理は更に言いなりである ことに言及。そして天皇陛下を中国
に二度と 利用させてはならないことを訴えた。また、 今日の左傾化した日本を作ってしま
った原因 に自民党自身に原因があることを指摘。自民 党結党は、自主独立にあり、原点
に立つこと を示唆。(これは、このときだったかうる覚 えだがその後の懇親会で、自民党
は左翼、野 党は外国籍 とも・・・。   ちなみに塚本先生は80歳になられたそうだ。

大磯正美(おおいそまさみ)
 静岡県立大学国際関係学部教授。国際政治学、現代アメリカ論を担当。昭和41年早稲田大
学卒業、43年同修士取得後、47年まで米国ジョージタウン大学博士 課程にフルブライト留学
(国際関係論専攻)同年、野村総合研究所入社、主任研究員 国際情報室長などを歴任。専門
は国際政治経済と安全保障論で、昭和53年にはシンク タンクとして本格的な〈総合安全保障
戦略〉を提唱し、これが大平内閣以降の日本の 基本政策となった。 
 今から40年前、40歳の現職衆議院議員であった塚本氏が、視察団として米国を訪問し たと
きの案内係を務めたのが、フルブライト留学中の青年、大磯正美氏であった。

 講演が始まる前に塚本氏が、2005年に行われた「世界世論調査」について紹介、調査対象
33カ国のうち31カ国が日本に対し「好影響」と回答し、断然トップという結果となった。
マイナスとした2カ国は中国と韓国。やはりというほかない。中国はアメリカに対してもマ
イナス40と厳しく、反面ロシアにはプラス40を献上。韓国は、八つ当たり国家というか、同
盟国アメリカ、中国、ロシアもマイナスとしている。これで分かるように「日本はアジアで
孤立している」という事実はなく中国と韓国の日本観が世界的に見ればおかしい、と説明。

 小生の私見:講演内容に「ありもしない中華民族」について日本人の中にも「中華民族」という概念があるようだ。今の中国の支配地
域では、万里の長城は中国領土内にあるが、元々長城は国境線であり、大きく分けて「漢民族」と「満州民族」で勢力図が変化していた。
孫文以前の清朝は、満人の支配が漢人の勢力圏に及んでいたわけである。したがって現在の中国は、力で支配できる勢力圏を「固有の領
土」と表現しているわけで、元々は民族も国も違う。日本人の場合、現在の中国の地図と重なって「中華民族」と言われると、そう思っ
てしまうようで、そこに正しい歴史教育を受けていない印象を受ける。
 ボーイング747いわゆる「ジャンボジェット」当時、世界最大の飛行機として「ロッキードC5Aギャラクシー」が、B747 と同時
期に誕生し、その寸法は、殆んど同じであったことに当時、飛行機好き少年としては、不思議に思ったものである。窓の無い民間輸送機
としてのB747があり、フロントから荷物を積み込む構造は、C5Aのリヤーハッチに比べ子供心に、不便そうに 感じたものだった。
 また、YS11が、作るほど赤字になった理由もこの講演では、分かりやすい。
 今年、CXとPXのロールアウト式に取材で出向いたが、その後、CXのエンジンを巡りきな臭い話が浮上した。折角の日本が航空機技術を
高める機会も個人の利権で台無しである。ただでさえ防衛の必要性が疎い傾向のあるところへ、拍車を掛けるようなイメージダウンは、
残念で仕方が無い。








三つ目、それは日本の大学。
アメリカは軍事が一流だが、その基礎として大学が一流である。
日本が高度成長期に何故、大学のレベルを上げることが出来な
かったのか?それは、企業が、大学の卒業証書を求めたことに
ある。昭和37年当時、短大を含め、大学の数は300だったが、今
では717校あり、まだ毎年10数校増え続けている。これは世界的
に見ても日本だけの現象で、企業が安易に「卒業した」だけで学
生を採用したせいで、大学を増やす結果となった。経済成長をし
ながら大学を食い潰したといえる。 大学とは教育の最終出口で
あり、総仕上げである、また、子供から大人になる時期であり重
要なところを遊ぶ場にしてしまった。
 官僚の不祥事も原因は人がきちんと育たない大学の堕落にあ
るといえる。「大学をどうするのか」を考える機運が出てこないと
ころがおかしい。